子どもに重要なのは学校ではなく家庭の愛情
2006年 11月 05日
あざらしサラダさんからいただいたコメントに返す形で書いたコメント。
これはあざらしサラダさんからのコメ。
それどころか、先日のニュースでは被害者の親が「加害者やその親についてはもう怒っていませんが、学校が許せない」と発言していたのには驚きました。
これに対する僕のコメント。
つまり、親からの愛情や自分が大切に思われている、と実感できる恵まれた
(僕はそれができて当然と思いますが・・・)子どもが減ってきている。
そういう家庭が少なくなっているのが遠因じゃないかと思うんです。
僕が知っている子どもたちも家庭の話を聞くといたたまれない気持ちになる
話ばかりでした。
それはもう、自分が経験してきた家庭とはまったく違う。
でも、子どもたちは本当に親からの愛情みたいなものを欲してるんですよね。
それが満たされないと、イライラしたり他の子に八つ当たりしたり。
それでも、数年して久しぶりに町でそこの卒業生とばったり再会したら、
ものすごく変わっていて驚いたと同時にとても嬉しくなったんです。
彼はそこを出てから働き、親と一緒に暮らしているらしかった。
そんなことをちょっと嬉しそうに、自信もあるようないい少年になっていたことが
とても嬉しかったです。
あれほど問題児だと思ってた子がきちんと敬語が使えて、働いて、自信を持って
そういう話をしてくれる。
自分の子でもないのに、あれだけ嬉しかったのは本当に久しぶりの体験でした。
はっきり言って、子どもにとってもっとも重要な環境は家庭だと確信しています。
だから、いじめの責任を学校だけに求めることは非常に妙な事態のように
僕の目に映ります。
これはあざらしサラダさんからのコメ。
それどころか、先日のニュースでは被害者の親が「加害者やその親についてはもう怒っていませんが、学校が許せない」と発言していたのには驚きました。
これに対する僕のコメント。
被害者の親からそういう発言があったんですか?
びっくりしましたけど、ふと思ったのは同級生の親同士の関係が
外から見る以上に強烈なものがあるのかな、ということです。
同級生の親を堂々と責めることができず、かといって子どもを失う
悲しみや悔しさを忘れることもできず、責めやすい学校という組織に
その矛先が向けられているのかなと感じました。
何にしても、子どもが親から愛情や自分に対する思いの強さを
感じることができてないんじゃないでしょうか。
つまり、親からの愛情や自分が大切に思われている、と実感できる恵まれた
(僕はそれができて当然と思いますが・・・)子どもが減ってきている。
そういう家庭が少なくなっているのが遠因じゃないかと思うんです。
僕が知っている子どもたちも家庭の話を聞くといたたまれない気持ちになる
話ばかりでした。
それはもう、自分が経験してきた家庭とはまったく違う。
でも、子どもたちは本当に親からの愛情みたいなものを欲してるんですよね。
それが満たされないと、イライラしたり他の子に八つ当たりしたり。
それでも、数年して久しぶりに町でそこの卒業生とばったり再会したら、
ものすごく変わっていて驚いたと同時にとても嬉しくなったんです。
彼はそこを出てから働き、親と一緒に暮らしているらしかった。
そんなことをちょっと嬉しそうに、自信もあるようないい少年になっていたことが
とても嬉しかったです。
あれほど問題児だと思ってた子がきちんと敬語が使えて、働いて、自信を持って
そういう話をしてくれる。
自分の子でもないのに、あれだけ嬉しかったのは本当に久しぶりの体験でした。
はっきり言って、子どもにとってもっとも重要な環境は家庭だと確信しています。
だから、いじめの責任を学校だけに求めることは非常に妙な事態のように
僕の目に映ります。
by arlequin_junya
| 2006-11-05 00:43
| 雑感